海老原露巌は、書道に基礎を置く現代アーティストであり、その作品は革新性と古典的な美を融合している。
海老原は、様々な書や現代アートを制作してきたが、本文は、年代毎に海老原の作品傾向を説明することを試みる。海老原が芸術の世界で生きる決意をしたのは二十代初頭であるが、まずは「淡墨の書」から解説を始めたい。
1、淡墨の書(その1)
(1) 淡墨とにじみ
海老原はその修行時代、濃墨(黒々とした墨)の書も多数書いてきたが、「淡墨」(薄い色の墨)で「漢字」を書くことに自己の可能性を見出した。海老原は、「和画仙」(和紙)と比べ、「唐画仙」(中国の紙)に淡墨を使用した場合、にじみが多層的な広がりを持つことに特に魅了された。彼は、書家、アーティストの活動はここから始まった。
(2) 淡墨の書(その1)
まずは最初期から2000年以前の作品を見ていきたい。
①「山」(1984年)
活動的な火山をイメージしたもので、上部の四散する淡墨の飛沫はまるで噴火のようだ。青年期のエネルギー溢れる作品。
②「花」(1986年)
やや黒めの墨色で書かれた作品であるが、にじみが立体感を与えている。タイ国のアユタヤで揮毫したものであるが、ダイナミックな線は日本の花というよりは、正に熱帯の極彩色の花を思わせる。
③「空山」 (1987年)
王維(唐の詩人)の漢詩「鹿柴」から取られた言葉。引き伸ばされた文字はまるで「モディリアーニ(1884-1920)」の人物像のような憂鬱と孤独を湛えている。
④ 「桜」 (1990年)
淡墨の濃淡が幻想的な桜の季節を表現している。左側の辺の部分は、陶酔して桜に手を伸ばす人の姿にも見える。
⑤「夢」(1995年)
淡墨の多層的なにじみが夢の幻想性や目覚めた際の余韻などを表現している。にじみの効果を如何なく発揮した作品。
(3) 2000年以降
言うまでもなく書は文字を書く芸術である。文字は一定の意味を持ちえるため「文字の意味に相応しい様相」を持つか否かというのが、一つの評価基準となり得る。初期の淡墨の書は、これを追及していた時期であったが、2000年以降の彼の書はこの基準で捉えられなくなってくる。だがそれらを見る前に彼の現代アート作品について解説したい。
2、現代アート
(1) 東洋と西洋の架橋
海老原は「墨アーティスト」を自称し、初期の頃から現代アート(抽象絵画的作品)に取り組んでいる。彼は広く西洋芸術への関心を示しているが、絵画芸術の世界では特に「ポール・セザンヌ(1893年年‐1906年)」や「ジャクソン・ポロック(1912年‐1956年)」に大きな影響を受けたという。確かに彼の作品にこれら作家の影響を見取ることはできるが、決して物真似に終わっていない。それは、海老原の作品が、書道的な「即興性」、「線の多様性」、「墨の階調(にじみを含む)」などの技法を追求する中で西洋芸術的な要素(例えば空間の分解と再構成など)を消化しているため、東洋的な要素と西洋的な要素が単なる混合に終わらず統合され、新しい美を創造しているからだと思われる。実際の彼の現代アートは、東洋への関心が高い欧米の美術愛好家にも好まれている。
(2) 作品
① 「蛇の目」 (1990年)
この作品は、強羅花壇の創設時に委嘱された作品であり、現在も強羅花壇のレセプションルームに飾られている。淡墨の上に広がる多数の規則的な波紋は、リズミカルで幾何学的であると同時に墨特有のゆらぎを孕んでいる。正確な線を描く海老原の技量と偶然性が音楽的空間を創出する。
② 「ヤコブの梯子」 (1991年)
ヤコブの梯子とは、旧約聖書に登場するヤコブが夢見た、天使が往来する天に届く梯子のこと。イギリスの詩人、画家、銅版画職人であるウィリアムブレイク(1757-1827年)は、これをらせん状の階段として描いたが、本作品の動きあるらせん線をこの絵に見立てた。これも強羅花壇に収蔵された。
③ 「ブラック イン ブラック No1」(1997年)
④ 「ブラック イン ブラック No2」(1997年)
⑤ 「ブラック イン ブラック 閃光」(2015年)
セザンヌは自然を単に描写するのではなく、平面上に色彩とボリュームからなる独自の秩序をもった絵画を描こうとした。「ブラック イン ブラック」は、セザンヌの手法と墨の世界が融合した作品だ。この作品は南国の森をイメージしているが、画面は後期セザンヌのようなブロックで構成され且つ(写真では分かり難いが)極めて立体的である。「ブラック イン ブラック」のNo.1(2連作)は、在日本イタリア大使館に収蔵され、No.2(4連作)の内、2つはフランス日本文化館に収蔵された。また、2015年、「ブラック・イン・ブラック」に印象的な一筋の光を追加した。
⑥「ブルックナーNo.8」 (1999年)
ブルックナーは後期ロマン派に属する作曲家であるが、彼の交響曲第8番第4楽章は、弦が4分音符を連打する中から、第1主題が金管のコラールと、トランペットのファンファーレで開始される。本作品は、その弦と金管の響きをイメージしたもの。
⑦ 「コズミック・ダンス」 (2009年)
荷電粒子などが霧箱(物理学の実験で使用される)に描く多様で渦巻くような線に触発された作品で、宇宙のダイナミズムを表現している。この作品には、ポロックの影響を見取ることもできるが、描かれた黒線はあくまでも書道家のそれだ。
⑧「雨だれ」 (2010年)
ショパンの「雨だれ」に触発されて制作された作品。淡墨が作り出す繊細なグラデーションは本物の雲のようだ。即興的な縦の線は、夜の静寂の中の降り注ぐ雨を美しく描き出す。
⑨「友情と繁栄」(2012年)
シェフ、レストランやホテルのオーナであり、海老原の友人でもある松久信幸氏による委嘱作品。Nobu Tokyoのオープンに際して、レストランの雰囲気に合わせて作品を制作した。
3、淡墨の書(その2)
(1) グラデーションと形象
海老原の淡墨の書は2000年以降大きな変化を見せる。この時代以降、「にじみ」は時に「グラデーション」と称した方が適切なレベルまで豊かで繊細な表情を見せるようになる。墨のグラデーションは制作時の墨や紙の具合、気候などの偶然的要素に左右されるが、彼はこれを巧みに利用する(「管理された偶然」とでも言うべきだろうか)。書の主要な表現要素としては、「文字の形状」、「余白」、「線の形状」、「墨色(濃淡・潤滑)」などを上げることができるが、彼はグラデーションという新たな要素を加えることで「墨色」の表現力を飛躍的に高めたわけだ。 また、この時代以降、彼は漢字の「形象」に傾倒していく。漢字は言うまでもなく、物や行為を象形することに起源を有する。2000年以前の作品にも見出すことは可能であるが、文字の「意味」よりは「形象」に重きを置く作品を創造するようになった。
(2) 作品
① 「鷲」 (2003年)
繊細で広がりあるグラデーションはまるで「鷹」の羽毛のようだ。また、全体として見ても正に「鷹」に見える。実にユニークな作品だ。
② 「海」 (2005年)
渦巻くような多様なグラデーションは、正に海のダイナミズムを表現する。海老原は「渦巻く海」を「海」という字の形象と連関させる。在日本イタリア大使館に収蔵された。
③ 「直」(2007年)
仏教のおける修行において座禅は基本的な所作であるが、この「直」はまるで座禅している人のようにも見える。自分自身に向かい合う(直面する)行為を「直」という字に託した作品。在日本イタリア大使館に収蔵された。
④ 「慈悲・智慧」(2009年)
仏教用語を揮毫したものであるが、慈悲や慧の文字が座禅する姿にも見えなくもない。統一感ある滲みやグラデーションが美しい作品。
⑤ 「智慧」(2009年)
上記と同じ智慧という文字であるが、こちらの作品はよりグラデーションが強く表現されている。空海と縁のある、中華人民共和国陝西省西安市にある大興善寺に収蔵された。
⑥ 「曜」(2010年)
「曜変天目」は、黒い釉薬の上に星のような斑点が群れをなして浮かび、瑠璃色又は虹色の光彩が取り巻いている茶碗(貴重なもので国宝に指定されているものもある)であるが、「曜」は「曜変天目」に触発された作品。「曜」の文字の形象と「曜変天目」の黒い釉薬と斑点が呼応し、グラデーションは一幅の絵画のようだ。
⑦ 「祷」(2011年)
東日本大震災の悲劇を悼み制作されたもの。左側の「ネ」の部分はまるで墓標を積み上げる人のようだ。海老原は「祷」という字に鎮魂の所作を込める。
⑧ 「砕」 (2011年)
今にも右上のハンマーが左側に振り下ろされるようだ。何かを砕く又は何かに砕かれる予感を感じさせる。この作品も東日本大震災に衝撃を受けて書かれたもの。
⑨「現」 (2011年)
物事が出現する様か、若しくは消えゆく様か。文字が夢と現実の間を彷徨う。
⑩「観」 (2012年)
海老原が能舞台に触発された作品。能舞台の一部には「鏡の間」と呼ばれる大きな姿見の鏡が備えつけた部屋があり、そこで衣装を身に着けた諸役は鏡に向かい心をしずめて登場を待つという。「観」は正に鏡の向かい合う人の姿に見えるし、繊細なグラデーションも味わい深い。
⑪ 「響」 (2012年)
音の粒が空間に広がり、消滅していく。海老原は、響きという目に見えないものを、繊細な墨色で見えるものとした。
4、墨蹟的な書
(1) 出会い
林屋晴三氏(1982年‐2017年)は日本を代表する陶磁器研究家であり茶道家であった。彼が主催する茶会は茶の湯を味わう機会であることは勿論、林屋氏が吟味した一級の陶磁器などを愛でることもできる貴重な機会となっていた。2011年、海老原は縁あって林屋氏の依頼を受け、茶会用の茶掛けの制作を手掛けることとなった。
茶道において茶掛けは「墨蹟」(禅僧による禅の教えを書いた書)が第一とされてきたが、墨蹟は、墨色は濃く、書体は豪快。繊細なグラデーションを兼ね備えた淡墨を得意とする海老原の書とは正反対なものであった。しかし、これを契機に彼は墨蹟的な書に取り組むことになった。
(2) 作品
① 「観」 (2010年)
海老原が最初に手掛けた茶掛け用の作品。濃墨で描かれて墨蹟的書ではあるが、迷いも感じられなくもない。
② 「行」 (2011年)
茶の湯の世界では、よく「真・行・草」という言葉が使われるが、これは、書道の楷書(真書)、行書、草書に由来する。茶の湯の「行」の世界に相応しい「行」を目指した。在フランス日本大使館に収蔵された。
③ 「輪廻」 (2011年)
輪廻のタイトルの如く、線の肥痩が変化し、途切れ、出現する。書の形態としては、左側を頂点とする三角形のような形状であり、それでも未来へ進むことを暗示している。
④ 「雪崩」 (2011年)
額縁をはみ出すような力強い筆使い、山肌を正に流れ落ちるような動き。墨蹟的な書の技法と文字の形象を統合しようと試みた作品。
⑤ 「道」(2011年)
道のように見える作品であるが、それ以上に精密且つ鍛錬された力強い身体の動きに感銘を受ける作品。この作品を気に入った林屋氏は、当時館長を務めていた菊池智美術館に一時展示することとした。
⑥ 「明」(2012年)
「道」と同様、精密且つ鍛錬された力強い身体の動きに感銘を受ける作品。明という文字を描いた作品であるが、文字の意味が消失している。
⑦ 「至人無己」(2012年)
海老原は、文字の形態を立体的に把握し、筆で空間を彫刻するよう身体を運動させる。ここにあるのは空間を移動した立体的な墨跡であり、書字はもはや自然界に存在する「物」にすら見える。「至人無己(至人は自分にこだわらない)」とは荘子の言葉であり、禅的な文言でもあるが、正にこの作品にはイメージが「無」い。
⑧ 「蒼」(2012年)
書聖と言われる王羲之の書風を範としながら「至人無己」で確立した書法による作品。確かな造形に厳しさと立体感を兼ね備えている。中華人民共和国陝西省西安市にある陝西省歴史博物館に所蔵された。
⑨ 「慈」(2013年)
この書は、滲みやグラデーションを利用した淡墨的な書であるが、書法としては墨蹟的である。2009年に揮毫した書は形象的なものであるに対して、こちらの書にその要素はない。この書は、空海と縁のある、中華人民共和国陝西省西安市にある青龍寺に収蔵された。
5、淡墨的なものと墨蹟的なもの
(1) 融合
書家にとって,古典は常に回帰すべき指標ではあるのだが、近年海老原は再び古典に向き合っている。または、同時にこれまで追求してきた淡墨の書や墨蹟的な書の融合を目指している。
(2) 作品
① 「和」 (2015年)
林屋氏は、海老原の書の技術を高く評価する一方、形象的な淡墨の書をあまり好まなかった。しかし、林屋氏は、淡墨で書かれたにも拘らず、この書を高く評価した。今となっては、その理由は分からないが、この書が、墨蹟的な動きと淡墨の滲みを両立させている点を評価したのかもしれない。
② 「幸」 (2015年)
この時期、海老原は西田幾多郎や鈴木大拙の書に関心を持っていた。その影響か、墨蹟的な動きと淡墨の階層性が禅書のような力強さを想起させる。円覚寺塔頭龍隠庵に収蔵された。
③ 「志」 (2015年)
「幸」と同時に揮毫されたもの。墨蹟的な動きに淡墨のグラデーションを併せ持つ作品であり、白隠の書を想起させる。
④ 「然」 (2017年)
自然の然の文字を描いたもの。海老原は、これまでの経験を意図なく表現しようとした。結果として、緩やかの中に、複雑な線、滲み、グラデーションが和合する作品となった。
⑤ 「道」 (2018年)
この「道」は、唐時代の書家であり、政治家でもある褚遂良(596-658年)の「雁塔聖教序」の「道」に範を取ったもの。これも墨蹟的な動きと淡墨の滲みを両立している。
⑥ 「神」 (2011年)
東京都新宿区柿傳で個展を開催した際、故藤田六郎兵衛氏の能管に合わせて揮毫したコラボ作品。この時、林屋氏も同席していた。そのためか、淡墨であるが、墨蹟的な筆致で描かれている。「融合」の書を予見させる2011年の作品。
6、その他
本項目では、今までの説明の枠に当てはまらない作品を解説したい。
(1) 背景色のある書
海老原は、墨色を重視するため、白紙に書や作品を書くことが多いが、背景を自ら着色、又は写真の上に書を描くことがある。墨アートの一種とも言えるかもしれないが、背景色のある書として纏めて紹介したい。
① 「火」 (1984年)
2(2)①の「山」と同様、活動的な火山をイメージしたもの。こちらは、背景を描き、力強く「火」と揮毫した。これも青年期のエネルギー溢れる作品。
②「氣」 (1993年)
友人でもあるLOUDNESS高崎晃氏の嘱託により作成したソロアルバムジャケット用の作品。揺らぎある色彩の上に踊る力強い文字。
③ 「輪」 (1995年)
同じく高崎晃氏の嘱託により作成したソロアルバムジャケット用の作品。情熱的に取り囲むファンを表現しているのだろうか。
④「春の夢」 (2014年)
フランス人写真家アントワンヌ・プーペル氏は、写真を材料に作品を制作する著名な芸術家であるが、彼の作品の上に「夢」と揮毫したもの。森は春の輝きを夢見見る。
⑤「夏の夢」 (2014年)
アントワンヌ・プーペル氏の作品の上に「夢」と揮毫したもの。森は夏の繁みを夢見る。
⑥「秋の夢」 (2014年)
アントワンヌ・プーペル氏の作品の上に「夢」と揮毫したもの。森は秋の色彩を夢見る。
⑦「冬の夢」 (2014年)
アントワンヌ・プーペル氏の作品の上に「夢」と揮毫したもの。森は過去の豊かさを夢見る。
(2) 巨大書
海老原は、鋭い身体感覚で数名メートル四方の作品を数多く製作しているが、ここでは更に巨大な書を紹介したい。
① 「花舞」 (2019年)
海老原は、キモノ・プロジェクトとコラボをして、フランスパリのオペラ座でイベントを行った。その際に巨大な白衣に描いた作品。巨大であるにも拘らず、その均衡が取れた文字に驚く。
② 「祈」 (2020年)
MOA美術館で、能楽宝生流 シテ方 辰巳万次郎氏とコラボした際、巨大な白衣に描いた作品。新型コロナが広がる中、その早期収束を祈念して揮毫した。これもその均衡感に驚く。
③ 「寿」 (2022年)
(3) 平面書
① 「美」 (2013年)
中華人民共和国陝西省西安市にある碑林博物館は、中国を代表する書家が銘文を揮毫した石碑が集められた博物館であるが、「美」は、海老原が同博物館で、日本人として初めて書のパフォーマンスを行った時に書した作品。
書は、紙という二次元の世界に文字を書く芸術であるが、中国の書家は文字に立体的に表現することを重視した。海老原は、この作品を揮毫する際、歴代の中国の書家に敬意を表して、あえて文字に立体感を与えなかった。均衡感と複雑な輪郭が魅力的である。
② 「不二」 (2014年)
「美」と同じ技法で描かれた作品。これも立体感が感じられないが、やはり均衡感と複雑な輪郭が魅力的な作品。
以 上
(評論:田島利秋)